「自動運転時代」と日本の戦略古谷 知之

①「自動運転前提」社会と日本の選択

2016.10.31

2016年の夏は、自動運転車両が一般に注目を集めるようになった最初の年といえよう。メルセデス・ベンツ「Eクラス」、日産自動車「セレナ」など、いわゆるレベル2からレベル3に近い「自動運転技術」を搭載した新車が発表され、自動運転車両の普及に大きな期待が寄せられるようになった。他方、運転支援機能を持つテスラ・モーターズの車両が死亡事故を引き起こしたが、これは「自動運転車両による初の死亡事故」(「テスラの自動運転車で初の死亡事故。何が問題だった?」ハフィントンポスト)などと「誤報」された。自動運転は、既に我々の身近な存在になっていると言って良い。

現在、日本は第四次産業革命やSociety 5.0、ドイツはインダストリー4.0、米国はインダストリアル・インターネットなどという旗印のもと、IoTやAI、ビッグデータ、自動運転、ロボティクスなどの新しい技術革新を前提とした産業育成と社会イノベーションの実現に向けて取り組んでいる。このうち、日本とドイツは人口減少社会を迎えているが、ドイツは積極的な移民政策により労働人口の減少を補填しようとしている。日本だけが、急速な人口減少に対処しながら技術イノベーションを活用できる唯一の国ということになる。AIやロボティクスが発達・普及すると、人間の仕事を奪うのではないかとの指摘がある(“THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?” Oxford Martin School や、「機械に奪われそうな仕事ランキング1〜50位! 会計士も危ない!激変する職業と教育の現場」 ダイヤモンド・オンライン)。しかし、2050年までに労働人口の約2割を失う(後述)と予想される日本では状況が異なる。介護職やトラックドライバーなど、従事者を確保するのが困難な職種が出てくるだろう。従って日本では、自動運転技術やAI、ロボティクスなどを活用する命題は、主として「働き方」に関わるものといってよい。

・働き手がいなくなる職種の雇用を新技術でどうやって代替できるか
・雇用従事者の働き方を新技術や規制改革でどのように効率化できるか

最近の技術革新に関するこれまでの論稿を見ていると、決定的に欠けていると思われる視点がある。即ち、「現在提案されている技術が全て出揃ったとき、どのような社会になるのか」ということである。本稿では、これら全ての命題や疑問に答えることはできないが、統計学者として可能な限りエビデンスを整理することで、少しでも「自動運転社会」の将来像に迫ることができればと考えている。

第1回となる今回は、日本の人口構造や国土構造の観点から、自動運転技術を前提とした社会において、我々が将来選択可能なオプションについて論じてみたい。

内閣府がまとめた2060年までの労働力人口予測によると(「労働力人口と今後の経済成長について」内閣府)、出生率が大幅(2.07)に改善し、女性や高齢者の労働参加が進んだとしても、2013年から2060年までの約50年間に約1170万人の労働力人口が減少すると予測されている。2013年から2030年までの約20年間でも約292万人の労働力人口の減少が予測されている。介護職人材は高齢化に伴う需要増加が予想され、2014年から2030年の間に約138万人から約190万人の増加が見込まれている(「介護職員数の将来推計」厚生労働省)。介護職や保育職は、やりがいのある仕事である一方で、給与水準の相対的な低さから、働き手の確保が課題となっているため、この推計結果を楽観視することはできない。既に労働力の確保が課題となっており、将来さらに深刻になると予想されるのが、トラックドライバーである(「労働力不足の現状について」公益社団法人 全国通運連盟)。2010年の段階で約2.9万人が不足していると指摘されていたが、2030年には約8.6万人が不足すると指摘されている。これはネット通販の普及に伴う運送需要の増加などが背景にある。しかし将来的には、都市部でのきめ細かい運送サービス(例えば、「注文から1時間以内の配送」など)が難しくなるかもしれない。山間部などの過疎地では、そもそも配送サービスが不可能な地域も顕在化するだろう。

日本の人口減少の特徴は、人口が減少しながらどこか生活利便性の高い都市部に人口が自然と集積するということではなく、現在の人口分布を前提に人口密度だけが過疎化し、結果としてスパース(疎)な地域構造が出来上がってしまう点にある(図1)。同時に、老朽化が進み維持管理コストが嵩む道路・鉄道・橋梁・トンネル・上下水道などの社会インフラは、どの地域のどの社会基盤を維持するかの「選択と集中」が迫られることになる。そこで優先順位の低いと判断された地域の社会基盤は、これまで通りには維持管理されなくなり、結果として医療・買い物・教育へのアクセスが困難になるという「負のスパイラル」が出来上がってしまう。恐らく、過疎地においては、病院は存続するだろうが、商業施設や学校は消滅或いは統廃合されるだろうから、それを前提とした地域づくりを進めていかなくてはならない。

スパース(疎)な地域構造

図1:スパース(疎)な地域構造

こうした背景から、都市計画の分野では人口減少局面で都市部のコンパクト化と縮退(スマートシュリンク)が注目されてきた。しかしそこに、第四次産業革命のようなイノベーションの要素を加えたとき、我々が取るべき都市・地域戦略は、全く新しいものになるだろう。(1)農村部や過疎地では、ロボティクスやドローン、AIやビッグデータを活用した第一次産業の促進と生活基盤の維持が必要となる。食料安全保障の観点からも、ロボティクス等を活用した食料自給率の改善は取り組むべき課題である。(2)都市郊外部では、鉄道沿線などへの市街地のコンパクト化を進めながら、新しい働き方(高齢就業者の副業解禁、若年労働者のサバティカル取得など)、(都心と比較して相対的に地価が低いことを活用した)ロボティクスやドローンなどのベンチャー育成などが必要となる。(3)都心部は、常住人口だけでなく、富裕層を中心とする観光客や留学生、ビジネスマンなど交流人口も増加すると予想される。「21世紀は都市の時代」などと言われていることから、都市中心部では都市全体の国際的なプレゼンスを高めるために、新技術のショーケースとなるライフスタイルを提供しなくてはならない。

東京・大阪・名古屋など競争力のある大都市では、(3)のような取り組みは益々加速するだろう。地方創生という観点から、(1)のような地域活性化施策は、すでに特区などを活用して進められているところもある。筆者が着目したいのは、地方交付金や地方創生の対象外とされてきた(2)都市郊外部であり、「地方創生から見捨てられた地域」とも言うべき地域である。これについては、また別の回に改めて論じてみたいと考えている。

市街地のコンパクト化やロボティクスの導入は、都市政策や経済産業政策の分野でそれぞれ個別に議論されてきたことであり、そこに目新しさはない。しかし自動運転技術を前提とした都市・地域戦略について、これまで十分に論じられてきたとは言い難い。

要は、自動運転技術を始めとする新しい技術イノベーションを眼前にして、我々は選択肢を突きつけられているのである。それは、「日本は大国になりたいのか」ということである。

選択しうる戦略的オプションはおよそ3つだろう。(1)政治的にも経済的にも世界的な影響力を行使しうる「大国」になる。(2)国としての政治的・経済的影響力は持たないが一人ひとりが成熟し経済的にも豊かな国になる。(3)世界的に影響力を持つ国になることを諦めるが一定の経済水準と技術力の高さは維持する。いずれの戦略においても、日本が持つ世界的な技術水準を維持・向上させるという点は共通すると考えて良い。

戦略(1):GDPトップ5を維持
戦略(2):一人あたりGDP上位をねらう(GDPは上位でなくて良い)
戦略(3):GDPも一人あたりGDPも上位でなくて良い

戦略(1)を選択した場合、減少する労働力人口を補うために、生活や労働を補助するロボットやAIだけでなく、海外からの移民も受け入れることが必要となるだろう。持続可能な経済成長には、一定の人口水準を維持または増加させる必要があるからだ。日本の場合、1億人の人口水準を維持するだけでも、合計特殊出生率2.04〜2.08以上に維持しなくてはならない。人口増加を目標とするのであれば、2040年ころまで増加が予想される高齢者医療費の負担に加えて、保育施設の整備と保育士の育成が急務となり、その費用負担が課題となる。住宅地での保育施設整備が忌避される我が国では、人口増加に対してコンセンサスが取れるとは考えにくい。また一時的に国内で雇用され帰国する外国人労働者と、長期的に定住する移民とは異なる。移民の受け入れは、社会のダイバーシティ(多様性)をもたらし経済を活性化させるという利点がある一方で、海外移住者を地域に定着させるためのコストは莫大となる。住民同士の文化理解促進やコンフリクトの解消、社会保障制度の改革や犯罪対策などに、大きな費用を支払う必要があるが、低い水準で経済成長を続ける日本の場合、このコストが経済成長を上回ることになるのではないだろうか。他方、大国であれば、第四次産業革命において技術革新や社会イノベーションにおいて世界を先導できるという大きな利点がある。例えば、自国企業が開発した技術を世界に普及させ、国際標準化できる。しかし自動運転の要素技術なども、技術力がある多国籍の企業が集まって開発されている現状では、技術力に関して国が先導するというロジックは、やや時代遅れといえよう。ただし、防衛産業など一部の基幹産業については安全保障上の理由が伴うため、この議論とは性質が異なるが。

戦略(2)はより現実的な戦略であるといえる。プライスウォーターハウスクーパースによれば(「2050年の世界 世界の経済力のシフトは続くのか?」PwC)、2050年には日本のGDPは世界5位にとどまると予測されているが、一人当たりGDPでみればG7・E7諸国の中で7位であり、フランスと同程度の水準と推測されている。2014年には約3.8万米ドルが2050年には約7万米ドル(2014年基準)程度になるという予測である。しかしこれは、現在のルクセンブルクやスイス、カタール、ノルウェーにも及ばない程度であり、こうした国々の生活水準も向上することを考えれば、必ずしも生活水準が高いとはいえない。むしろ、中位国とでも言える水準だ。この戦略を選択する場合には、労働生産性を飛躍的に向上させなくてはならないが、GDP総額の増加を意図しないのであれば、人口の維持や増加に支払うべきコストを支払う必要がないという利点がある。そしてこの場合、技術イノベーションの先導役を米独中など他国に任せつつ、技術の利用者に徹することもできる。しかし「安全・安心」など世界的議論が必要な領域においてイニシアティブを持つために、高い外交力が必要となる。技術外交で求心力を発揮できるかが、この戦略の鍵である。また一人当たり所得の平均値を向上させつつ、所得のばらつき(所得格差)をできるだけ縮小させなくては、社会の安定性を担保できない。生産性を向上させるための、必要最低限のロボティクスやAIの導入も必要となる。少し乱暴に言えば、合計特殊出生率を1.5から2.1程度に回復させ労働人口を増加させたのと同程度の生産力を、ロボティクスや自動運転技術に担ってもらう必要がある。

最後の戦略(3)については、これを選択した場合に日本がどうなるのかについての想像力を、残念ながら筆者は持っていない。この場合は、もはやG7でもいられなくなるだろうし、自動運転技術など導入できなくても、国際社会で生き残っていけるだろうから、そもそもこのシリーズで議論を展開する上では意味のない選択肢かもしれない。

冒頭に内閣府による労働人口の将来推計の数値を持ち出したが、内閣府は2100年ころまでの将来人口推計も取りまとめている(「人口動態について」内閣府)。これによれば、日本の総人口は2100年には5000万人を割り込む水準になると推計されている。人口半減どころか、人口半減以下、である。因みに医療費の増加などで問題となっている人口高齢化は、筆者を含む「団塊ジュニア」が死亡するであろう2060年をすぎると「高齢化」の状態を過ぎ、定常的に「高齢社会」状態となる。(従って医療費増加抑制の議論は2050-60年頃までのことを考えていれば良い)

2050年や2060年と聞くだけでも、随分先の話のように聞こえるかもしれないのに、2100年の話を持ち出すとまさしく「鬼が笑う」かもしれない。しかし考えても見れば、我々の子供世代、少なくとも今の小学生低学年以下の年齢層の多くは、確実に2100年を生きるだろう。その意味において、2050年や2100年の社会のあり方について考えることは、決して他人事ではない。2030年ころまでには「レベル4」の完全自動走行の自動運転車両が普及しているだろうが、国土構造や人口動態を考慮すれば、その先を見据えた戦略策定が求められる。

さて、「自動運転の論点」における筆者のシリーズでは、自動運転に関する技術的・制度的側面というよりもむしろ(もちろんこれらに言及することはあるが)、「自動運転前提社会」がどうなるのかを、中長期的観点から論じてみたい。筆者は、データサイエンスを専門とするが、都市交通計画やドローンなどの新しい移動体技術を活用した環境データ分析なども行っている。所属する慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでは、「ドローン社会共創コンソーシアム」(慶應義塾大学SFC研究所 ドローン社会共創コンソーシアム)の代表もつとめている。自動運転技術は、自動車だけでなく無人航空機ドローンや無人船舶でも活用されていることから、本稿では、AIで自動制御されたIoT機器なども含めて自動運転技術が社会に普及した、「自動運転前提社会」像に迫ってみたいと考えている。

 

①「自動運転前提」社会と日本の選択