移住意識の高まりと、進まない移住の実態
「地方移住」がブームらしい。内閣府の農山漁村に関する世論調査によれば、農山漁村への定住を望む都市住民の割合は、ここ10年ほど増加傾向にある(但し本稿で取り上げる「地方」は、農山漁村のみを意味しない)。私自身も、東京で大学を出て、東京で働いたのち福井へ移住した地方移住当事者の一人。私自身の実感としても、様々なバックグラウンドを持つ移住者が、少しずつではあるが身の回りに増えてきていると感じている。各自治体もその波を受け、移住体験ツアーを開催したり、移住者に対して起業支援を行ったりと、移住者の獲得に躍起だ。自治体によっては、定住を条件に家や土地を譲渡するなど、破格の条件を提示しているところもある。
しかし、その意識の高まりやメディアでの注目度に比して、都市から地方へ人口が移動しているという明確な数字はなかなか出てこない。それどころか、統計が示しているのは、地方から都市への人口流出傾向は強まってさえいるという事実である。(平成26年度 国土交通白書)
そう、地方自治体は移住、移住と簡単にいうが、都市の人々にとって、移住のハードルはあまりに大きい。例えば、これまで築いてきた人間関係を捨て去らなくちゃいけない。新しい仕事を探さなくちゃいけない。あるいは移住先には、欲しいものが買える場所がないかもしれない。そもそもUターンでなければ、移住先は見知らぬ土地なのだ。スローライフや自然環境・食に対する欲求と、想定される様々なリスクとを比較すれば、現状維持に舵が向くのは当然である。私自身が地方移住を決意できたのも、私がまだ身軽で家庭をもつ身ではなく、収入の減少や人間関係の再構築が障害にならなかったからである。
つまり、移住に興味を抱いている人は増えている。なのに移住に踏み出せていない、のが今の地方移住の実態なのである。その現状を変えるのが「自動運転」なんじゃないだろうか。自動運転は移住の促進にとどまらず、これからの居住地選択、ひいてはライフスタイル形成の自由度を大きく向上する可能性を秘めている。
自動運転がもたらす利便性が、移住希望者の不安を払拭する
現状の移住希望者の不安・懸念点から、自動運転が移住のハードルを下げる可能性について考察してみよう。
以下は、東京在住者の移住意向調査である。調査対象者のうち、移住を検討している人の割合は約4割。このうち40%超が「働き口が見つからない」ことを懸念しており、3割以上が日常生活の利便性、公共交通の利便性を不安点として挙げている。
ここに、全自動で目的地へ移動できる自動運転が実現した状況を仮定するとどうなるか。
まずはじめに、自動運転の存在により、公共交通の利便性という懸念は排除されるのが明らかだ。むしろ、都市で公共共通によって生活する場合よりも、自家用車でドアtoドアで移動できるため、交通の利便性自体は向上するだろう。
日常生活の利便性についても同じだ。日常生活の利便性を主な懸念点に挙げているのは40代から60代の女性。そこには、車を運転することに抵抗があるとか、あるいは免許返上後の生活が心配だといった背景があると想定できる。しかし自動運転の台頭により、今後は彼ら自身が運転できずとも自家用車で移動でき、日常生活の利便性に関しても多くの不安が排除される。
では、「働き口が見つからない」という懸念についてはどうだろう。実は前述の懸念は、自分で車を運転できれば解消される問題である。それに比べ、「働き口が見つからない」という懸念に対して自動運転が与える影響は遥かに大きいんじゃないか、と私は感じている。自動運転は「地方に住んで都市で働く」という生活スタイルを提案しうる。
自動運転により、移動時間は「自由時間」になる。これによって、車で2,3時間の距離であれば、地方に住みながら、近接した都市へ通勤する、という生活スタイルに現実味が生まれる。地方移住において、転職すら不要になるかもしれないのである。自動運転では、パーソナルスペースが確保されている。だから、移動時間を使って、例えば横になって眠れる、堂々と化粧ができる、社外秘の資料を扱う作業ができるなど、多様な活動を行える余地があるのである。すなわち自動運転によって、地方移住は、例えば「給料を維持しながら、子どもを良好な自然環境のもとで育てたい」と考える親の希望を満たす、新しい選択肢になりえる。
自動運転の視点で地方移住を眺めると、都市の人々が感じている主な懸念は、自動運転が解消しうることがわかるだろう。
自動運転は都市の優位性をも切り崩しうる
自動運転は更に「長時間運転」の時間的・肉体的コストを大きく削減する。すなわち、「横になってぐっすり寝ている間に、東京から福井へ」という移動が可能になる。これは、都市が持つ優位性をも切り崩しうるんじゃないかと私は考えている。
都市に住み続けたい、という人にその理由を尋ねると、「最先端の情報や文化、ビジネスが集積しているから」という答えが返ってくることが多いように思う。自動運転は、これを保証する。
これまでは、新幹線で行き来する場合には、昼間の時間を犠牲にするしかなかった。また、夜行バスでは横になって眠れず、どちらにせよ都市と地方の往来には、大きなコストを覚悟する必要があった。これが、自動運転によって寝ている間に移動が可能になれば、夜に地方を出発し都市へ向かう、夜になったら車で地方へ戻る、ということが気軽にできるようになるのである。
こうなると、都市に気軽にショッピングやライブに遊びにいけるようになる。また、最先端の情報が集まる場に気軽に参加できるようになる。もちろん、それでも都市であることのメリットは大きいが、地方であることのデメリットは、どんどん小さくなる。
更に重要なことは、自動運転によって、移住前の人間関係を維持することも可能になる、ということだ。これは、地方移住にはかなり大きなインパクトを与えるのではないかと思う。
先般述べたように、自動運転の登場により、気軽に旧友の元へ遊びにいき、お酒を飲み、そこから車で家へ戻る、ということが可能になるのだ。すると、都市から離れると、これまでの友達と気軽に会えなくなってしまう、という懸念は失われる。地方にいっても、これまでの人間関係は維持したまま、新しい(ほとんどの場合より良好な)生活環境を手に入れるようになるのである。
すなわち、自動運転は、都市と地方の距離を、これまで以上に小さくする。これにより地方への移住者は、都市にある最先端の情報や文化、ビジネスに気軽にアクセスしたり、これまでの人間関係を保持したりといったことが可能になるのである。
自動運転が、ライフスタイルを自由に選択できる社会を導く
これまで居住地は、労働や娯楽、人間関係といった、いくつかの「居住」以外の要素によって左右されてしまうのが当たり前だった。すなわち、まず職場があって、知人が多くて、買い物がしやすい場所で…。こうした制約が決まったあとにやっと、その制約の中で自然環境や人が良い場所、スローライフが送れそうな場所を探す、ということが当たり前だったのである。
しかし自動運転があれば、私たちは居住地を、ほとんど独立した状態で検討できる。つまり、まず「住みたい場所」を優先的に定義し、それを満足する環境から住宅を探せるようになるのだ。そのあと、給料を維持したければ都市まで自動運転で仕事に向かい、友だちに会ったり、ショッピングを楽しんだりしたくなれば自動運転で都市に向かえばよい。
だから、完全な自動運転が実現すれば、「居住地の自由度」はこれまでになく向上する。そしてその結果、自動運転は「ライフスタイルを自由に選択できる社会」を導くだろう。
そもそも本稿では「都市で働き、地方で暮らす」が良いことだ、という一旦の前提を置き、自動運転がそれを容易にする、という議論を進めた。しかし、自動運転が導くのはそんな安易で画一的なライフスタイルではない。自動運転により「地方に住んで地方らしく働くか、都市に住んで都市らしく働くか」という二者択一な考え方は瓦解する。地方に住んで、都市で働く。あるいは、都市に住んで、地方で働く、というパターンも新たに生まれてくる。
仕事だけではない。自然や教育、娯楽や人間関係も含めて、私たちが全く想像していなかった、新しいライフスタイルが次々に生まれてくるはずだ。自動運転の登場によって、きっとおもしろい社会がやってくるに違いない。