人の移動をつくる観光

遠藤 英樹

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遠藤 英樹
遠藤 英樹 (えんどう・ひでき)
立命館大学文学部地域研究学域教授。 1963年大阪生まれ。 関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得退学。 奈良県立大学地域創造学部教授を経て、2014年4月より現職。 専門分野は、観光社会学、現代文化論、社会学理論。 著書に『ガイドブック的! 観光社会学の歩き方』(春風社、単著)、『観光メディア論』(ナカニシヤ出版、寺岡伸悟・堀野正人との共編著)、『現代文化論』(ミネルヴァ書房、単著)、『ツーリズム・モビリティーズ――観光と移動の社会理論』(ミネルヴァ書房、単著、近刊)等、翻訳にアンソニー・エリオット&ジョン・アーリ著『モバイル・ライブズ――『移動』が社会を変える』等がある。

なぜ人は旅するのか? 現代社会は、人、モノ、資本、情報、知等が世界中を移動する社会である。こうした移動は、いまや観光や旅を抜きに考えることができない。

国土交通省が編集する『平成27年版・観光白書』によると、世界各国が受け入れた外国人旅行者の総数は、2010年の9億5000万人から、2012年には10億3500万人と増加しており、初めて10億人を突破した。日本人の海外旅行者数に限ってみても、2010年で1664万人、2011年で1699万人、2012年で1849万人、2013年で1747万人、2014年で1690万人と毎年1500万人程度の日本人が海外に渡航している。社会学者J. ボロックは大量に生み出される観光客を指し、「余暇移民(leisure migration)」と呼ぶ。

観光は、人の移動ばかりではなく、物資や観光客の荷物をはじめとするモノの移動も含んでいる。また情報、データ、イメージの移動も生じている。さらに観光は、旅行代理店、航空産業等の交通業者、ホテル・旅館等の宿泊業者をはじめとする諸産業と結びついて成立しているがゆえに資本の移動も伴う。このように観光は、様ざまな移動をつくっているのである。

非日常性にふれる旅

だが人は、そもそも、なぜ旅へと誘われるのだろうか?これについて、バックパッカーという観光客を手がかりに考えてみたい。

バックパッカーとは、旅行会社が旅の行程や宿泊所等を用意する「パッケージ・ツアー(パック旅行)」とは異なり、自分自身で旅の行き先やルートを決め、そのために必要な手続きや準備を行なう観光客のことで、1970年代から1990年代にかけて多くの若者を惹きつけた観光のかたちである。バックパッカーたちは格安航空券を利用し、海外におもむく。その行き先としては、ヨーロッパや北米であることもあるが、タイ、ベトナム、インド、ネパール、中国(香港)などのアジアを目指す人が比較的多いと言えよう。泊まるのは、「ドミトリー」と呼ばれる一室に大人数でざこ寝をする施設の場合もあり、エアコンも壊れていて、シャワーもお湯ではなく水しか出てこない部屋であったりする。食事も、土地の人が普段食している大衆食堂や屋台でとったりする。彼らは好んで、このような貧乏旅行をこころざす。

バックパッカーたちは、訪問する国の異文化にふれ、自分の生き方を見つめ直す。バックパッカーたちにとって、旅や観光は、非日常性にふれ、確かなリアリティやアイデンティティを感じとることのできる経験を与えるものだったのである。人が旅へと誘われる理由のひとつに、確実にこのことがある。

 観光経験の5類型

とはいえ、観光が与えるのは、そうした経験に限られるものではない。エリク・コーエンという観光社会学の研究者も、人が観光でどのような経験を得ているのかは多様であるとして、観光経験を「気晴らしモード」「レクリエーション・モード」「経験モード」「体験モード」「実存モード」の5つに分類している。

「気晴らしモード」とはただ、日常の退屈さからのがれようとする際の観光経験のことを意味しており、旅行は単なる気晴らし、うさ晴らしだとされる。同様に「レクリエーション・モード」も、娯楽的な色彩の強い観光経験であるが、この経験のもとで人びとは心身の疲労を癒し元気を取り戻す。そのため、この経験は単なるうさ晴らし以上の「再生(re-create)」の意味合いも持っているのだとされる。

次に「経験モード」とは、自分たちが訪問した場所で生きる人びとの生活様式や価値観にあこがれ、それこそが本当に人間らしい生き方だと考えるにいたる観光経験のことを言う。さらに「体験モード」における観光客は、他者の生活にあこがれるだけでなく、実際そこに参加し体験しようとするものである。最後に「実存モード」は、単なる「体験」にとどまらず自分たちの生活様式や価値観といったものを捨て去り、旅で知った人びとの生活様式や価値観を永遠に自分のものにしようとする経験のことである。

人が旅する理由の変化

以上のような5類型に当てはめるならば、バックパッカーたちの旅は、どちらかと言えば「経験モード」「体験モード」「実存モード」が濃厚な観光であると言うことができるだろう。だが2000年代から2010年代へと、旅や観光は次第に、非日常性にふれる経験を与えてくれるものではなくなってきたように思える。人やモノや情報が世界中を駆け巡り、すべてを日常の中に組み入れてしまうような時代、「ここではないどこか(例えば、いまだ足を踏みいれていないアジア)に、確かなリアルを感じることのできる非日常的な何かがある(はずだ)」「そこにこそ、いまだ探せていない‟自分らしさ”がある(はずだ)」とは思えなくなってしまっているのではないだろうか。

旅や観光は日常から切り離された非日常性にふれるためのものではなくなり、日常の中にほんの少しの色合い(非日常性)を添えるだけのものになりつつある。数日だけスケジュールが空いた週末に台湾やグアムに行き、美味しいものを食べたり、ショッピングを楽しんだり、マッサージを受けたりして、いつもよりほんの少し贅沢な休日を過ごすツアーに申し込む人々が増えているのも、そうした変化の表れであろう。「日常性から切り離された非日常的経験を獲得すること」から「日常性を少しだけ非日常的にデコラティブなものにすること」へ、人が旅する理由は変化しているのである。

<今後の執筆予定>
1. 多様化する観光のかたち
2. メディアによって誘発される観光
3. 観光がメディアになる―観光とメディアの相互接続―
4. 観光という移動の可能性

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遠藤 英樹 (えんどう・ひでき)
立命館大学文学部地域研究学域教授。 1963年大阪生まれ。 関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得退学。 奈良県立大学地域創造学部教授を経て、2014年4月より現職。 専門分野は、観光社会学、現代文化論、社会学理論。 著書に『ガイドブック的! 観光社会学の歩き方』(春風社、単著)、『観光メディア論』(ナカニシヤ出版、寺岡伸悟・堀野正人との共編著)、『現代文化論』(ミネルヴァ書房、単著)、『ツーリズム・モビリティーズ――観光と移動の社会理論』(ミネルヴァ書房、単著、近刊)等、翻訳にアンソニー・エリオット&ジョン・アーリ著『モバイル・ライブズ――『移動』が社会を変える』等がある。