便利さと面白さの未来学

増井 俊之

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増井 俊之
増井 俊之 (ますい・としゆき)
慶應義塾大学環境情報学部教授。1959年生まれ。東京大学大学院を修了後、富士通、シャープ、ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所などでの研究生活を経て、米AppleでiPhoneの日本語入力システムを開発した後、2009年より現職。携帯電話に搭載された日本語予測変換システム『POBox』や、簡単にスクリーンショットをアップできる『Gyazo』の開発者としても知られる、日本のユーザーインターフェース研究の第一人者。近著『スマホに満足してますか?』(光文社)では、認知心理学および実世界指向インタフェースの視点から、現在のスマホブームに警鐘を鳴らしつつ、画期的な新しい視点を提供中。

エンジニアや発明家が作り出す新しい技術というものは、今までできなかったことを可能にするものであったり、自動化によって効率的にしたりするものがほとんどです。昔よりも手間がかかる方法や昔よりも金がかかる方法などが開発されることは無く、必ず昔のシステムより速くなったり効率化されたりします。最近は計算機やネットワークの普及にともなってあらゆるものが自動化されて便利になってきています。

そもそも様々な技術は人間が幸福になるために開発されているものですが、手間の省略や効率化によって人間は幸福になってきているのでしょうか? 生活における面倒が減るのは確かに良いことなのですが、その結果誰もが幸福になるかどうかはわかりません。技術革新によって面倒がなくなるだけでは不十分で、より楽しく生活できるようになる必要があるでしょう。

技術革新によって生活が面白くなってきたこともあれば逆の場合もあります。Webによって新しいコミュニケーション手法が普及してきたり、新しいコンピュータエンターテインメントが出現したりすることによって世の中の面白さが増大している一方、人間が行なっていた楽しい仕事をコンピュータにとられてしまうかもしれませんし、人工知能がさらに発展すると、面白い仕事がすべてコンピュータに置き換えられてしまうかもしれません。

そもそも面白さと便利さには関係があるのでしょうか? 「面白いけれども不便なもの」や「便利だけれども楽しくないもの」「面白くないけれども便利なもの」が沢山存在することを考えると、これらは比較的独立した判断基準のように思われます。どちらが重要なのか考えてみると、どちらかといえば楽しさの方が重要な気もしますが、状況によるのかもしれません。

「面白くて便利なもの」が一番良いのは確かですが、世の中にそういうものはあまり多くありません。「テレビ」「Web」「自動車」「カメラ」などは面白くてかつ便利なので世界中の人々に利用されていますが、そういうものは限られています。鉛筆もフライパンも便利なものですが普通は面白くはありません。大抵の娯楽は面白くても便利なものではありません。美味しい食事や酒は楽しいかもしれませんが便利だとはいえません。俳句を考えるのは楽しいかもしれませんが便利ではありません。世の中で価値があると思われているもののほとんどは面白いか便利かのどちらかです。面白くてかつ便利な新しいものを発明できれば一世を風靡することは間違いないでしょう。

そもそも便利さとか面白さとかは何なのでしょうか? 自動化によって仕事の量が減れば便利になったといえるでしょうから便利さを計測することは不可能ではありません。たとえば新開発のユーザインタフェースの便利さを主張したいときは操作時間を計測するのが一般的です。しかし、制限があることによって面白さが増えていることもありますし、時間がかかっても自分が好きなやり方を使いたいこともあるでしょう。Apple Macintoshのユーザインタフェース開発にかかわったことで知られるBruce Tognazzini氏の実験によれば、テキストをコピーするときなどに「Control-C」のような「キーボードショートカット」を使う場合とマウスでコピーメニューを選択する場合を比較するとマウスを利用する方が速かったのだということです。これは全く実感に反する話ですが、熟練者がショートカットを使うのは単に好みの問題であって本当に効率が良いからでは無いということなのでしょう。新しいシステムを使うのに時間がかかったとしてもその方が楽しければそちらを使うかもしれません。必ずしも効率だけが問題にはならないでしょう。

技術者が面白いシステムを作っても評価されることはあまりなく、単なるネタだと思われてしまうだけのことが多いようです。やかましい発言をする人に逆襲することによって発言を妨害する「SpeechJammer」というシステムはとても面白いシステムだったのですが、便利だという主張には無理があったので、様々な学会で論文がリジェクトされてしまったいました。しかしこのシステムの面白さが発見された結果イグノーベル賞を受賞したことで、脚光をあびることになりました。これは、面白いのか便利なのかが相当不明なシステムだったといえるでしょう。

SpeechJammer

闇雲に技術を発展させると、便利であっても楽しくないものができてしまうかもしれません。欲しいものをWebで注文すればすぐ届くのは確かに便利ですが、店に行く楽しさが減ってしまった可能性もあります。便利さの追及と同時に楽しさや面白さも追及する必要があるでしょう。

便利さはある程度定量評価できるかもしれませんが面白さや楽しさを計測することは難しいでしょう。現在面白いと思っているものが、後で見ると全く面白くないこともよくあることです。私が子供のころ一生懸命に見ていたテレビ番組をYouTubeで発見面白くなさに驚愕したことがありました。面白かったという記憶だけが残っていました。いつの時代でも面白いというものを作るのは難しいかもしれません。

杉原厚吉氏の「どう書くか―理科系のための論文作法」という本では、技術論文は効率よく書けば良いというものではなく、読み手を感心させなければならないのだから、ベストセラーを書くつもりで面白く書かなければならないと主張しています。論文のような硬い文章でもこういう要素があるのですから、あらゆる人が使うようなシステムでは便利さと面白さを共存させる工夫が必要なのでしょう。

この連載では、計算機やネットワークの普及によって何もかもが自動化されていく世界における面白さと便利さ、その気付きなどについて考えていきたいと思います。前半の8章では、ユーザーインターフェース開発の立場から、「当たり前に受け入れている不便さ」をどう発見し乗り越えることができるかについて講義しました。第9章以降では、技術による自動化や便利さをうまく制御することによって、面白さを失うことなく世界をより便利に幸せにしていくための方法を検討します。

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増井 俊之 (ますい・としゆき)
慶應義塾大学環境情報学部教授。1959年生まれ。東京大学大学院を修了後、富士通、シャープ、ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所などでの研究生活を経て、米AppleでiPhoneの日本語入力システムを開発した後、2009年より現職。携帯電話に搭載された日本語予測変換システム『POBox』や、簡単にスクリーンショットをアップできる『Gyazo』の開発者としても知られる、日本のユーザーインターフェース研究の第一人者。近著『スマホに満足してますか?』(光文社)では、認知心理学および実世界指向インタフェースの視点から、現在のスマホブームに警鐘を鳴らしつつ、画期的な新しい視点を提供中。

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