21世紀を変える数学の可能性

若山 正人

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若山 正人 (わかやま・まさと)
九州大学 理事・副学長。マス・フォア・インダストリ研究所 教授。代数学・幾何学・解析学が交わる現代数学の研究領域である表現論、とくにその整数論・ゼータ関数、数理物理への応用研究が専門。加えて10年ほど前より、数学の産業応用とそれに関わる人材育成に強い関心をもち、2011年には、わが国初の産業数学の研究所である九州大学マス・フォア・インダストリ研究所(文部科学省共同研究・共同利用拠点)の創設に関わる。「絶対カシミール元」、「技術に生きる現代数学」(岩波書店)などの著書・編著書のほか、学術誌Pacific Journal of Mathematics for Industryや叢書Mathematics for Industry(Springer)の編集長をつとめている。近年は、量子計算機の基盤となる量子光学における物理モデルのスペクトル解明への表現論からの探求とその数論的側面の考察に従事している。

インターネットの進歩とビッグデータの登場によって、人工知能はかつてない速度で発達し、それに応じて、自動運転にはこれまでとは違った期待が寄せられるようになった。自動運転車は、航空機のように人間がスイッチを切り替え、その指示に従ってコンピュータが自動的に運行するというものではなく、人工知能を搭載し、状況に対して車自らが判断し行動するものであるという期待だ。自動運転といったときに、現代では人工知能から離れて考える人はいないだろう。

数学はこの人工知能を支える学問のひとつである。例えば、機械学習には数学の「ファジー理論」が使われているが、これは、現実に起こる0(偽)か1(真)かで表すことのできない曖昧(ファジー)な事象に、0と1の間の確率を数値として割り当てることで、定式化して解き明かすことを可能にするものだ。こういった数学の理論を応用することで、目標地点まで最速で到着するための経路選択という効率化の問題から、肌触りのいいシャツはどのようなものか、また人にとって心地いい運転とは何か、という非常に感覚的な細部まで数理的な処理から導き出すことができる。つまり、定式化をすることさえできれば、ある程度の部分は人工知能でカバーできるのだ。人工知能を発達させようと思ったときに数学が必要だというのは、ほとんど明白なことである。

人工知能が情報を収集するためのセンサリングにも、数学は深く関わっている。運転手の二酸化炭素の排出量をセンサリングし、人工知能で運転手の健康状態を分析する場合を考えてみてほしい。ここでは、センサリング自体に数学を用いるのではなく、どういうセンサリングをすればいいかというところに数学を使用している。つまり、どういうサンプル、変数を集めればいいかということだ。人間の体温の上昇ひとつをとっても、それは外が暑いからか、風邪をひいているからか、運動をしたからかわからない。このように現実の変化には、独立でない変数がたくさんあるが、その中からなるべく独立であり、かつ効果的な変数を見つけて定式化していくことは、数学の領域だ。

一方で、この数学による「定式化が必要である」ことは、人工知能の弱点であり、数学の課題でもある。例えばモノを運ぶとき、人間は、プラスチックなら雑ですばやく運び、ガラス細工なら落とさないように丁寧に運ぶ。しかし、人工知能が同じように行動するためには、モノがデリケートであるかを理解するための学習が必要になってくる。人間が動物だからこそ持っている常識や感覚。それは人間の身体性に大きく影響を受けながら、膨大な歴史と個人の経験を通して培われたものだ。その常識を、どこまで定式化し、人工知能に学習させるべきか。その「フレーム」が今問われている。

また、国際的に重視されている数学の研究に、暗号の作成がある。今、世界で使用される暗号の8割を占めている素数の暗号(RSA暗号)は、スーパーコンピュータを使っても解読に300年はかかるという計算困難性を安全の根拠にしているが、量子コンピュータができると簡単に計算されてしまう。この量子コンピュータの計算速度にも耐えうる暗号の研究は、日本だけではなく、アメリカでもCIAを巻き込んで国家として行なわれている。人工知能の脅威として日本で話題になるのは「シンギュラリティ」だが、人間が人工知能を悪用する犯行やテロ行為の方が、実現可能性のある脅威だと私は考えている。その意味でも暗号化によるセキュリティの確保は、自動運転社会の安全と安心に関わる問題だと言える。

最後に、自動運転車が普及した先の社会、「Beyond自動運転」を考える必要がある。自動運転の普及は、交通だけではなく社会全体に大きな変化をもたらすだろう。街の作りや信号システム、事故を起こした時の法律の整理や運転免許制度についても再考が必要だ。その変化を予測して、自動運転の導入と同時に、あるいはそれ以前から、変化に対応するための視野の広い問題設定をしなければならない。

そして、その問題設定、ルールづくりにも数学が応用されうる。法律であれば、「全国に何百万、何千万とある事例に数値を割り当て、計算した結果がある閾値を超えるとプラスとする」といった数理的な処理がルールづくりに役立つ可能性もあるだろう。また、人間が健康に生きるためにはどのくらいの運動が必要で、それに適したモビリティは何かということを知るためにも、データ調査をもとにした提言が必要だ。このように「移動」をどこまで機械に任せればいいかを考えるのも一つのフレームであり、定式化して導くことができるものであると考える。これらの「自動運転を超えた問題群」を、数学は意識的に扱っていかなければならない。

数学は言葉だ。人工知能やコンピュータにとって、最もわかりやすく、自然言語で表すと10万ページ以上にもなる複雑な内容を、たったの10ページで言い表すことのできる、ある種極端に優れた言葉であるとも言えるだろう。長い歴史の中で、数学はその言葉を使って、自然界の中のある定理を「発見」し、物事の推移を「予測」してきた。その営みの中で生まれた、300年以上前の定理は、今でもわたしたちの社会を支えるために使われている。「mathematics in industry」ではなく、「mathematics for industry」。今すぐに役に立つ研究ではなかったとしても、20年先、100年先の社会を大きく支えるかもしれない。数学とはかくも面白いものなのだ。

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若山 正人 (わかやま・まさと)
九州大学 理事・副学長。マス・フォア・インダストリ研究所 教授。代数学・幾何学・解析学が交わる現代数学の研究領域である表現論、とくにその整数論・ゼータ関数、数理物理への応用研究が専門。加えて10年ほど前より、数学の産業応用とそれに関わる人材育成に強い関心をもち、2011年には、わが国初の産業数学の研究所である九州大学マス・フォア・インダストリ研究所(文部科学省共同研究・共同利用拠点)の創設に関わる。「絶対カシミール元」、「技術に生きる現代数学」(岩波書店)などの著書・編著書のほか、学術誌Pacific Journal of Mathematics for Industryや叢書Mathematics for Industry(Springer)の編集長をつとめている。近年は、量子計算機の基盤となる量子光学における物理モデルのスペクトル解明への表現論からの探求とその数論的側面の考察に従事している。

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