遊動と移動の美学へ

原 研哉

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原 研哉
原 研哉 (はら・けんや)
デザイナー。1958年生まれ。デザインを社会に蓄えられた普遍的な知恵ととらえ、コミュニケーションを基軸とした多様なデザイン計画の立案と実践を行っている。無印良品アートディレクション、代官山蔦屋書店VI、HOUSE VISION、らくらくスマートフォン、ピエール・エルメのパッケージなど活動の領域は多岐。一連の活動によって内外のデザイン賞を多数受賞。著書『デザインのデザイン』(岩波書店刊、サントリー学芸賞)『白』(中央公論新社刊)は多言語に翻訳されている。日本デザインセンター代表。武蔵野美術大学教授。2015年に外務省「JAPAN HOUSE」の総合プロデューサーに就任。

わが国の経済の基幹をなす自動車産業に最大の敬意を払いつつ、やや遠いクルマの未来についての私の空想を率直にお話しします。やや断定的に語りますが、空想ですからご容赦ください。

遊動の時代

まずは、クルマや移動をめぐる、環境の変化から考えてみましょう。自動運転というテクノロジーだけに焦点を絞ると大事なことを見失いがちです。世界は新しい「遊動の時代」を迎えていきます。「遊動」の対義語は「定住」。いい家に住み、多数のモノに囲まれて暮らすことに幸福の根拠を求めた時代は過ぎ去り、世界を動き回り、文化の多様性をその地で体験する豊かさへと、価値の根幹が動いています。50年前は1億人を超える程度だった国際旅行客数は今日では12億人程度、そして2030年には18億から20億になると推定されています。延べ人数としても世界人口の実に4分の1が旅行者として移動することになるわけです。21世紀の産業の主軸がツーリズムであると言われている理由はここにあります。したがって移動のサービスは、ツーリズムとともに進化していくと思います。

今日最も強力かつ優秀なビジネス・パーソンは、移動を常態としつつあります。一箇所に定住して会社に通うような生活ではなく、今日上海にいたかと思えば、翌日はシンガポールに立ち寄った後にジャカルタに入り、そこからカリマンタン島にある快適なホテルに移動して休息をとりつつ仕事に集中し、翌週は欧州に旅立つ、といった具合に、ノマディックな暮らしをしているのです。移動することが多数の地域や都市との接触を加速し、自然と世界の情勢が把握できてきます。また、ローカルな文化に潜む価値にむしろ敏感になります。そのような仕事のかたちが、ビジネスに革新的な着想を生み出す背景となるのです。このノマディックな状況は、企業も個人も同じです。

こういう暮らしを実際にしている人たちはまだ少数ですが、かつて都市で高級車を颯爽と乗り回していた人たちが、移動に対する憧れを作り出していたことを考えると、影響力のあるオピニオン層の、充足感の捉え方の変化が、暮らしの美意識、つまり今後の暮らしや環境の捉え方に影響を与えるはずです。ニュー・ノマドたちは高級セダンやスポーツカーを自家用車として利用することにもはや興味を持っていないように見えます。クルマは公共に属する移動手段と割り切って、移動中は仕事をしたり、眠ったり、人とコミュニケーションをしたりという時間に使おうとするのではないでしょうか。

撮影=筒井義昭

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デザイナー。1958年生まれ。デザインを社会に蓄えられた普遍的な知恵ととらえ、コミュニケーションを基軸とした多様なデザイン計画の立案と実践を行っている。無印良品アートディレクション、代官山蔦屋書店VI、HOUSE VISION、らくらくスマートフォン、ピエール・エルメのパッケージなど活動の領域は多岐。一連の活動によって内外のデザイン賞を多数受賞。著書『デザインのデザイン』(岩波書店刊、サントリー学芸賞)『白』(中央公論新社刊)は多言語に翻訳されている。日本デザインセンター代表。武蔵野美術大学教授。2015年に外務省「JAPAN HOUSE」の総合プロデューサーに就任。

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