通勤途中に桜並木がある。花見スポットとして有名なわけではない、ごく一般的な都心の幹線道路だ。ドライバーも満開の桜を楽しんでいるのだろうか。心なしか頬を緩めているように感じる。
東海道の歴史を紹介した横浜国道事務所(国土交通省 関東地方整備局)のウェブサイトによると、奈良時代に東大寺の僧・普照の提案で道の両側に果樹を植えたのが、日本の街路樹のはじまりだそうだ。普照は遣唐使として唐に渡り、帰朝してから街路樹の効用について報告したとされている(武部健一『道路の日本史』)。そこでは、果樹を植えることで日差しを遮るだけでなく、通行人が飢えたときの食料としての役割も期待されていた。
現在の日本の街路樹はイチョウ(約57万本)が最も多い。サクラは約52万本で2位、ついでケヤキ(約49万本)、ハナミズキ(約36万本)と続く(国土技術政策総合研究所「わが国の街路樹Ⅶ」2014)。全国52万本の桜が、春の訪れとともに南から花開いていくのを想像するのは楽しい。
花見スポットとして有名な目黒川沿いの道路も、花見をするために人が集まり夕方は自動車が通れないほどだ。地域によっては花見客のために交通規制を設ける地区もある。花見シーズンには、自動車や人の通行だけが道路の役割ではないということを実感する。
道路の価値には、人の移動を促すことだけでなく、立ち止まって会話をする、街の見通しを良くする、風が吹き抜けるといったものもある(交通インフラの価値の評価についてはまもなく登壇予定の加藤浩徳教授・東京大学大学院工学研究科が詳しい)。現代では街路樹の果物が食用になることはめったにないが、街路樹があることで街の居心地が良くなり、道行く人は日陰に憩い、季節の変わり目を楽しむことができる。
道路には人が集まる空間としての価値もある。ハロウィンや2014年のサッカーワールドカップの際、渋谷スクランブル交差点に多くの人が集まった。筆者も、祝祭的な高揚感を求めてスクランブル交差点を訪れた一人だ。吉見俊哉など多くの社会学者が論じているように、こういった道路は人が集まる広場としての役割や、行き交う人の眼差しの交差する舞台としての役割も担っている。
1966年に作られた新宿駅西口地下通路は、もともと新宿駅西口地下広場という名称だった。名称が変わったのは1969年のこと。ベトナム戦争への反対を歌うフォーク集会を排除するために、「広場」から「通路」へと名称を変え、占拠が起これば排除の対象となる道路交通法の管理下にされた(南後由和「商業施設に埋蔵された「日本的広場」の行方」)。政治的であれ祝祭的であれ、人が集い、場の空気を共有する場所を多くの人が求めている。しかし現在、道路がその役割を果たすことはめったにない。
川村匡由氏(武蔵野大学名誉教授)が連載で紹介しているが、ヨーロッパでは市街地への自動車の乗り入れが制限されていることが多い。これが可能なのは、多くの市民が、交通だけでない道路の多元的な役割を重視し、自動車だけでなく町行く人に優しい社会設計のプランを共有しているからではないだろうか。
日本に住む私たちにとって花見の季節は良い機会だ。道路の持つ多様な価値に想いを馳せ、通行や輸送に特化しすぎている現状を再考してみてはどうだろうか。どのように道路を使いたいか考えることは、どのように人と人がコミュニケーションをとり、居心地良く感じることができるかを考えることだ。それはつまり、道路という具体的なものを通して、理想の社会という抽象的なものに輪郭を与える作業になるはずだ。