道路の民俗学畑中 章宏

③縄文人の“性”の道

2017.05.18

クリとクルミのむせかえる匂い

今回も藤森栄一の『古道』のなかの“道”に沿って、話を進めさせていただきたい。

「雑木林の道」で藤森は、肥後から出稼ぎにきた山人夫と出会った記憶を描いている。現在では山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅を結んでいる小海線が、まだ清里駅までしか通っていなかった時代の、ある6月の話である。清里駅で最終電車を見送った藤森は、佐久往還を板橋宿に向おうとしたが、雑木林のなかに迷いこんでしまった。

するとそのとき、「一度もかいだことのない、胸をかきみだすような生あたたかい匂い」とともに、人のうめき声がした。そして、栗林の下草の茂みの中から立ち上がった男が、「だれだ? ここんとこは、俺のトヤだゾ」と叫んだ。かたわらには白い大蛇のようなものがいた。

丸太と板でつくった飯場に案内されると、そこには10人ばかりの男と、7人の女がいた。彼らは原始林をわたり歩く木樵(きこり)の集団で、そのなかにいたひとりの老人は、「トヤ」というのは、こどもをつくる場所なのだと教えてくれた。

栗の花は男の精、クルミの花は女の精の匂いがする。女たちは栗の花の花粉の舞う草原で力いっぱいからみあい、噛んだりわめいたりして、受精する。

トヤは、序列ごとに各夫婦の領分が決まっていて、クリの花のいいトヤが親方のものである。女たちは、密毛の生えたホウの木の若葉をよく揉み、“事後”にはさみ込んで、子種が流れてしまわないようにするという。ブユが引っこみ藪蚊が出てくる合間の、黄昏の一時期が、その時間であった。

“愛の場”にいたる道

この白昼夢のような出来事から、ずっと、藤森は集団の寝屋と生殖の場所が違っていたこと、そこをつなぐ特定の“道”があったこと、“性”には激しい季節があり、冬閑期が出産期になっていたこと、その場には、クリの花やクルミの花が大きな役割を果たしたことを信じつづけた。

縄文時代中期の遺跡にも、竪穴の掘立家屋の南側に出入り口があり、水場か猟場へ行く道があったと考えられる。中期縄文人は、クリとクルミの木に囲まれて生きてきた。

そんな彼らの“性”が、花の匂いに強く刺激されたとすれば、秋の実り、冬の狩猟と、妊婦の食欲は頂上に達し、4月が格好の出産期となる。そうだとすれば、美しい、明るい沢をのぞむ、クリやクルミの林の下草の中に、愛の場があったかもしれない。

しかし、サンカ(※)の研究者で作家の三角寛(みすみ・かん)は、回遊職能民であるサンカの“性”には季節感がなく、「エブリナイト」だといっているという。あの肥後から来たという人びとは、サンカとはまた違うのだろうか。

※サンカ……山窩、散家、山稼、山家など複数の表記がある。山間部を生活の基盤とし、夏場の川魚漁、冬場の竹細工を生業としながら山野を渡り歩いた漂泊の民。

土偶と道祖神

近世には、若者仲間の集会場や、古い村にある特定の「精進屋(しょうじんや)」に行く道、女性が「月」の際に籠る「他屋(たや)」へ行く「他屋小路」があった。藤森はそこで、自分が迷いこんだ「トヤ道」は、縄文人にもあったに違いないと考える。

藤森栄一が想像力を刺激されたクリとクルミの匂いから、私は柳田国男が書いた、『明治大正史 世相篇』の第4章「風光推移」の一節を思い浮かべる。

山城の京の始めのころには、官道の傍らには果樹を栽(う)えよという布令(ふれ)があった。これはなつかしい事だが、並木としては遠く栽え列(つら)ねたわけでもなかったろう。今でも山越えの路には折として栗・胡桃(くるみ)や山梨の老樹があって、やはり旅人はその陰に入って憩うている。

偶然にも柳田はここで、山越えの道の代表的な樹木として、クリとクルミを挙げているのである。

長野県尖石(とがりいし)の与助尾根(よすけおね)住居址群の村は、どの家も南を向いて出口があり、ほぼ一線に並んでいるという。藤森は、もしそのとおりだとすれば、そこには意識的に道がつくられていたことは明らかだろうと述べる。

尖石・与助尾根を含む八ヶ岳山麓の縄文遺跡からは、妊婦を思わせる「縄文のビーナス」、下半身が丸みをおびた「仮面の女神」の、2体の国宝土偶が発掘されている。またこのあたりは、武田(信玄)が造ったとされる軍用道路「棒道(ぼうみち)」がとおり、人びとが道の安全を祈った「道祖神」石像の宝庫でもある。縄文人の道、戦国武将の道、近世庶民の道といった、さまざまな時代に開通した“道”を歩いてみるのも、楽しいものである。

過日わたしは八ヶ岳山麓に、珍しい道祖神を訪ねた。その石像は、激しく接吻(くちづけ)し、足を絡めあった、エロチックな男女神の像である。あの道祖神は、たしか南を向いて立っていたはずだが、かたわらに生えていたのがクリやクルミだったか、とっさに思い出せないのだった。

【参考文献】
藤森栄一(1966年)『古道』学生社
柳田国男(1993年)『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫
三角寛(1965年)『サンカの社会』朝日新聞社

③縄文人の“性”の道