自動運転のための社会インフラ学特集1

根本祐二・人口減少時代はインフラもシフトする

2017.02.27

根本祐二

技術の進歩がインフラを変える

前回、ネットワークインフラを一斉に更新するといったが、一方で技術的に全く違うことをやれる場合もある。たとえば、公共下水道は本当にどの地域にも必要か、ということを考えてみよう。10人程度の集落から、遠く離れた下水処理場まで公共下水道を引くのは、非常にコストがかかる。集落まで高速道路を通しているようなもので、そもそも採算がとれるはずがない。

それなら、下水道管を外してしまって、小さな処理槽ごとに下水を処理する方法に変えてみてはどうだろうか。トイレの汚水だけでなく、台所、お風呂の生活排水も一緒に処理できる合併処理浄化槽の技術は非常に発達していて、衛生面では公共下水道を使った場合と比べてもまったく遜色がない。技術的には可能であり、人口密度の低い地域では大いに普及している。こうすることで、地域のインフラ負荷は格段に軽くなる。長野県下條村では、合併浄化槽と公共下水道のコストを厳密に計算して、合併浄化槽を選択した。浮いた財源を子育て層の定住につなげる公営住宅の整備に充てた。

また、水道管もネットワーク状に張り巡らせるのではなく、井戸水にしたり給水車に代えるという方法もある。方法が変われば、地下の使い方も変わってくるだろう。そうすると、地下空間はネットワークインフラの経路という役割を担う必要がなくなる。技術の発展の後押しもあって、今ようやくそういう検討に立ち至っている。

人口減少時代の投資は「ダウンサイジング」だ

先に述べたようなことは、これまであまり注目されてこなかった。なぜか。それは少し前まで日本の人口が右肩上がりだったことに起因する。

人口が増えているときは先行投資をしても、人口が追いついてきて、投資が回収できた。
だから、人口が右肩上がりの時の日本の投資構造のパターンは、ずっと長期投資だった。また、固定的な投資は一挙にやったほうが、スケールメリットが出て効率的だ。そのため戦後から続く日本の産業構造は、建設会社も自動車会社も、とにかくスケールメリットを追求するものになっている。

けれども、今は社会の構造が変わってしまった。インフラ老朽化と人口減少が同時に起こるという、経験したことのない変化だ。人口減少時代には、稼働率が低くなる一方だから、長期の投資はあまり効果がない。それよりも、できるだけ短期の投資をつないでいくという形で「ダウンサイジング」していったほうが合理的だ。

今後のインフラについても同様に、“長寿命化”よりも、“短寿命化”した方がいいだろう。例えば役所の庁舎も、100年耐久するものをつくるのではなく、20年くらいで徐々にダウンサイジングできるようにすることも想定するべきだ。たとえば、愛知県高浜市は20年間の定期借家方式で庁舎を整備している。

このように、人口減少時代に適したインフラはこれまでとは全く違うものになる可能性がある。当然、そのために必要とされる技術やビジネスモデルも変わっていく。車と関連性の高い道路というインフラにおいて、自動運転の技術が、そうした今までとは全く違うインフラの誕生を促すものであってくれればと考えている。

インフラはいつまでも人を追いかけてこない

最後に人口減少時代のインフラについて、インフラ側からでなく、人に焦点を当てて考えてみよう。

戦後のインフラ整備は、人が住んでいるところを優先して道路をつくってきた。つまり、人の生活圏を固定した上で自然を加工して、インフラをネットワーク化していく方策が取られ、それが「いい政治」だされてきた。当然、居住する地域が野放図に広がっていくのに合わせて、ネットワークインフラもスプロール化する。「人が住んでいるんだから当たり前でしょう」と思うかもしれないが、実は戦前は、税金を使って無限に道路が人を追いかけていく、という世界ではなかった。自分が選んだ土地に住み、それに国や自治体がインフラを整備してくれるという世界は高度成長期以降のことと考えたほうがいい。

ここで、ちょっと発想を変えて、「人を動かしてはいけない」から「人が動いてもいい」というルールにする。AさんとBさんが10キロ離れていれば、10キロメートル分のインフラが要るが、その距離が10メートルになったら負担が1000分の1になる。人が移動するだけで、インフラ負担を劇的に減らすことができるのだ。

これがコンパクトシティであり、高台移転の考えだ。高さ20メートルの防潮堤を建てるか、あるいはその防潮堤分のコスト(おそらくほんの数%のコスト)をかけて高台に新しい町をつくるか。もし人が動いてもいいと考えれば、高台移転のほうがはるかに社会的な費用対効果は高い。それがなかなか論じにくいのは、何となく人に「動け」という言葉を言いにくいからではないか。

人口減少社会になった日本の社会構造は、今までとは全く変わっている。みんなが今のままの場所で、今までのように暮らすことは難しいことを認めて、人口の減少の割当をどこか決めないといけない。「選択と集中」に基づいた政治をやっていくべきだ。

すでに夕張市では、そうした取り組みが始まっている。夕張市の面積は、東京23区合計よりも大きいのに、小・中学校が1校ずつ、2校しかない。そこで家から離れた学校まで、1時間以上かけてスクールバスで通うのではなく、その小・中学校のそばに公営住宅を建て、市民の移動を促進しようとしている。

ここで大切なことは、こうした移動をネガティブなものにしないことだ。人は強制では動かないし、それを続けているとどうしても暗くなってしまう。そうではなくて、自ら望んで「ポジティブに」移動できるような仕組みを作らなければならない。自動運転によって、人々が望んでそうした移動をするようになれば、それは人口減少時代のインフラという観点でも喜ばしいことだろう。

根本祐二・人口減少時代はインフラもシフトする