遊動と移動の美学へ原 研哉

②クールな移動手段

2017.05.23

2008年から2009年にかけてパリとロンドンで「JAPAN CAR——飽和した世界のためのデザイン」と題する展覧会を開催しました。これは単に日本車を紹介するのではなく、日本車の特徴である、「賢い小ささ」と、「環境性能」、そして「移動する都市細胞」を具体化していく技術に重点を置いて、クルマの未来を展望する試みでもありました。展覧会の準備期間も含めて、しばらくクルマのことを考える日々があり、自動運転についても集中的に考えました。僕は運転免許を持っていませんが、パッセンジャーの立場では毎日クルマを使っています。この展覧会の制作およびキュレーションを通して感じたことは、未来のクルマのことは、運転席からは発想しないほうがいいという点です。その理由は運転席が無くなるからです。

移動するというのは、行きたいところがある、ということで、運転がしたいということではありません。つまり運転そのものが目的化するわけではなく、大学に行きたい、リゾートホテルに行きたい、ゴルフに行きたい、空港に行きたいなど、目的があるわけです。したがってクルマのサービスは、目的地となんらかの関連を持つようになるかもしれません。あるいは逆に、通信サービス以外は、移動手段としてクールに独立したシステムになるかもしれません。

もし、自分が自動運転車を使うとしたら、まずはスムースに気持ちよく使えること、そして時間に正確であることが大事だと思います。おそらくは、誰かとゆっくりコミュニケーションをする時間になるでしょうし、プライバシーや静寂さが保てるなら、眠りたいと思うでしょう。また、仕事に集中したり、食事をしたり、長距離なら映画を見たりという、現在では飛行機の中で行っていることを、都市の移動空間の中に持ち出していくことになるのではないかと思います。

②クールな移動手段