「自動運転時代」と日本の戦略古谷 知之

⑥「自動運転時代」のイノベーションの装置としての大学

2017.05.01

これまで、ドローンや自動運転をテーマに、大学と地域、産業とを結びつけるような仕事をいくつかやってきて、漠然と感じることがある。それは、「自動運転やドローンが世の中で当たり前のように使われるような時代がやってくると、大学のイノベーターとしての役割はどうなるのだろうか?」ということである。とりわけ日本の大学に関して言えば、(1)技術開発と社会実装のための研究環境整備と(2)デュアルユース研究の理解と推進、の2つの政策的な工夫が必要なように思われる。そこで今回は、これらのことについて論じてみたい。

過去の産業革命においては、いずれも最先端の知識や技術は大学や研究機関から生まれ、産業界などに移転されてきた。つまり間違いなく大学は、技術や社会の「イノベーター(革新者)」として重要な役割を果たしてきたといってよい。それはこれまで、知識や技術がほんの一握りの限られた人間によって所有されてきたからに他ならない。しかし現代のように、知識がインターネット上で共有され、より安価で高性能なデバイス(センサーやGPSなど)やPCが市場に普及したことで、「イノベーション」はより市民の身近なものとなった。Uberのようなシェアリングサービスの仕組みは、おそらく数十年前にも世界中の多くの人たちが考え出していたことだろう。それが最近になって実現されたのは、スマホや位置情報端末が安価になり一般に普及したということなどが背景にある。

「イノベーション」を起こすハードルは、数十年前と比較してかなり低くなり、極端に言えば誰もがイノベーターとなり得るのだ。こうした状況の中で、大学や研究機関がかつて持っていた「限られた一部の人間のみが有した知識や技術を、社会に伝播し変革する」という意味での「イノベーター」としての役割や意味は、以前と比べ弱まっているように思える。その一方で、全国の大学や企業などでは、「○○イノベーション・センター」などのように、イノベーションを冠した組織が多く設置されている。いまや、「猫も杓子もイノベーション」、である。

大学教員がイノベーションに貢献するために

自動運転やドローンを見ても(とりわけ日本や東アジアの状況をみるにつけ)、大学よりも民間企業のほうが技術を有していると考えられる例は少なくない。これらの分野は、ビジネスになるかどうかわからない時期(ほんの数年前)には、企業からは大して見向きもされなかったが、市場が成長すると見るや、掌を返したように企業が技術革新に参画し、市場を拡大させる。結果、それまで限られた研究費をもとに、基礎技術の開発と論文執筆でほそぼそと生計を立てていた大学研究室や研究機関は、一気に取り残されることとなる。私の同僚なども、「自動運転は急に企業が本腰を入れ始めて、大学なんてもうやることありませんよ」などと、半ば自嘲気味で冗談を言うこともある。

大学の本来的な役割と機能は、いわゆる教育と研究である。教育の成果は授業や教育資金獲得状況などで、研究の成果は論文や研究費獲得状況などで測られることが多い。そしてこの指標が、教育と研究を行う上でのインセンティブになっている。しかしながら、大学の役割を教育と研究とに狭めてしまうことは、イノベーションに貢献するという役割を過小評価することにつながらないだろうか。というのも、大学人や研究者が社会や技術のイノベーションに何らか貢献したとしても、それへのインセンティブや評価は著しく低いからだ。大学の役割にイノベーションが明示的に示されていないから、研究者が何らかのイノベーションに貢献したとしても、例えば給与に反映されることはほとんどない。

その結果、イノベーションへの貢献に対するインセンティブが、少なくとも大学活動の範囲内においては低くなることがある。国や自治体のコンサルティングや顧問をやるような社会科学系の大学教授が、そのコンサルフィーや講演料を大学ではなく自身の個人事務所に入れてしまうのは、恐らくそうすることで、社会のイノベーションを実践することに対するインセンティブを高めようとしているからに違いない。自然科学系の先生方の中には、社会科学系の先生のそのような振舞いをずるいという人もいるが、分野を問わず、イノベーションに対する対価は支払われるべきであり、インセンティブが付与されるべきだ。

科学研究費のような国の資金がイノベーションを生みにくい理由

研究費に関して言えば、日本の国関係の研究資金ほど使い勝手の悪いものはない。資金源が税金である国資金の制度の抜け穴を見つけて悪用した研究者がいたことは、もちろん良くないが、それに対応するように資金支出に必要な書類が増え、監査体制が煩雑になり、研究する時間以上に事務的作業の時間を要する場合も少なくない。筆者は、他の研究者が主査となる共同研究などを除き、最近は税金を使って研究をすることがあまりないので、こうした煩雑さからは開放されているのだが、科研費の支出に苦しめられている同僚などを見るにつけ、「何のために研究しているのか」と思ってしまう。もっとも、最近は政治家などの努力で、状況が改善される兆しがあるようであるが。

長期的な研究成果が求められる科学技術分野ならともかく、即効性が求められる社会的なイノベーションにつながるような研究分野で科学研究費のような国資金を獲得するのは、一部の人材育成を目的とする資金を除き、あまり得策とは思えない。「成果を上げれば、研究費や研究設備を何にどのように使っても良い」というやり方(かなり無理なことだろうが)であれば、国資金の使い勝手が良くなりイノベーションへのインセンティブは向上するだろう。

しかし問題の本質は、国研究費の使い勝手を良くすることではない。何か先端的な、面白い研究をやろうとするなら、国の資金に研究費を依存しようという発想自体が良くないのではないか。

キャンパス内での規制緩和で研究開発を加速する

研究費の話はともかく、大学が革新的な研究(教育)を行うべきだということであれば、研究環境の整備や研究機材の使い方に関しては、大学の自治というか、治外法権をある程度認めてもよいのではないか。大学のキャンパス自体を、“regulatory sandbox”(「制度の砂場」:事業者に対して現行法をすぐに適応せず、実験的な試みが可能な環境を提供する仕組み)にしてしまうという発想である。“Sandbox campus”という言い方のほうがわかりやすいだろうか。

冒頭に述べたように、大学はこれまで知識や技術を蓄積し、一般に普及させる役割を担ってきた。自動運転やドローンなども、これまでは工学部の研究室が技術や知見を先行して蓄積し、民間企業などに人材や技術を提供するという事が多かった。しかし、民間企業の方が先端的な技術や人材を有していることが少なくない。そのような企業や研究機関が大学に求める役割は、国や民間では行えないような社会実験を、大学との連携において、あるいは大学という場を活用して行うことであろう。実社会では行えないような、先端技術を用いた社会実験を、徹底した規制緩和の下で(あるいは規制度外視で)、大学で行えるようになれば、大学はより魅力的な研究教育の場になるだろう。

「国家戦略特区」のような仰々しいものでなくても、大学のキャンパスで、研究教育上の様々な規制を予め緩和するような仕組みが良い。都心に立地するキャンパスなどでは金融やデータなどインフラに依存しないサイバー空間に関する取り組みが盛んになるだろうし、郊外や地方のキャンパスでは自動運転やドローンなど実空間を活用した取り組みがやりやすくなる。

ついでに言えば、地方や都市郊外に立地する大学では、大学キャンパス周辺の空地なども活用した取り組みができると良い。自動運転やドローンなどは、実際の市街地の中でレベル4並の社会実験を実施することは、実際には困難である。キャンパス隣接地などに空地があるようなら、それを活用して“Sandbox town”のような、街全体がregulatory sandboxの対象となるような市街地を自治体や民間事業者などと開発するのはどうだろうか。実際に人々が居住し働く市街地を使って様々な先端的な実験を実施でき、そこで収集したデータをビジネスに活用できるということであれば、自動運転などに取り組む民間企業や研究機関が立地する上で、きっと魅力的な装置となるだろう。

安全保障に関する技術開発をタブー視してはならない

もう一つ、大学がイノベーションの装置であり続けるために避けて通れない議論が、技術開発のデュアルユースの問題である。戦後の日本の大学では、技術の平和利用という観点から、軍事技術を民生技術に転換することに注力してきた。しかし、国際競争力のある世界の大学や研究機関では、有事を想定し民生技術を軍事技術に転換することをタブー視することなく、イノベーションを起こしてきた。筆者の専門分野の一つに、GISやGPSをツールとする空間情報科学がある。その学問的基礎となる地理学で扱われる地図はもともと陸軍などが扱う軍事情報を元に発展してきた。GPSは、米国が軍事技術として開発したものを、民生用に全世界に無償提供して使われた、スピンオフ技術の代表例である。インターネットも然りである。我々が純粋学問として学んでいるように思われる、数学の微分積分や、統計学のベイズ統計も、軍事分野での実用がなければ、これほどまでに発展しなかっただろう。

筆者は別に大学が武器や防衛装備品を直接開発することが良いとは考えていない。しかし、基礎研究や応用研究、技術研究など、プロトタイプやシステムを開発する手前の領域までにおいて、大学が安全保障と技術に関する分野で果たすべき役割はあるのではないだろうか。自動運転やドローン、ロボティクス、サイバーセキュリティーなどの分野は、既に軍事と民間との境目がわからなくなってきていることから、安全保障に関わる技術開発や研究を従来のようにタブー視し続ける訳にはいかない。これらの分野は今後、産業振興の観点からだけでなく、政府調達の観点からも、推進する法的根拠を与えるべきとも考えている。また、こうしたデュアルユース研究は、研究者が技術の本当の危険性を理解し、安全保障と技術の世界的な動向をきちんとフォローすることにつながる。これらの理由から、我が国の産業競争力を維持向上させるには先端技術分野を対象に、デュアルユース研究を促進するのが望ましいと考える。

デュアルユース研究については、軍事技術が広く民生技術に波及することで経済発展をもたらすという、いわゆるスピンオフ効果が知られており、実際に米国などの軍事大国ではこの効果は大きい。そのため、国が軍事機関などに「ハイリスク・ハイリターン研究」を投資することで、更にその再委託先としての大学や研究機関、民間企業が受益する仕組みとなっている。しかし国防研究費が民間研究費と比較して相対的に少ない日本では、ハイリスク・ハイリターン研究(国防技術に関する研究のように、成功する可能性は未知数だが実現すれば影響の大きい研究)に関するスピンオフ効果は殆ど見込めない。民間企業や大学などの民生技術開発が国防技術に波及するスピンオン効果の方がスピンオフ効果より相対的に大きいと考えられる。このため、日本が先端技術でイノベーションを先導していくためには、国防技術のスピンオン効果を見込んだ長期的な投資が欠かせない。

デュアルユース研究の留意点

我が国のデュアルユース研究を推進する上で留意すべきなのは、安全保障輸出管理とそのトレーサビリティの問題である。最近は、大学でも国際共同研究や海外出張時の技術や備品などの持ち出し管理が厳しくなっているが、これは国による安全保障輸出管理の制度が普及しているからだ。この点に関して言えば、安全保障輸出管理のトレーサビリティをより強化する仕組みが必要だ。

例えば、日本のある研究者が、日本と敵対関係にないA国の研究機関・民間企業に所属する研究者と民生目的で共同研究しているとする。A国の研究者との関係において言えば、技術を持ち寄って研究する分には問題ないように思える。ところが仮に、A国の企業・研究機関の関連組織が、日本と敵対関係にあると考えられているB国の企業・研究機関と軍事目的で共同研究を行っており、技術供与を行っていたとする。この場合、日本の研究者の技術がB国に軍事技術として流出することを未然に防ぐのは難しくなる。

日本以外の主要国は、産官学に軍も加えた主体が一体となって技術イノベーションを牽引する構図が一般的であると言って良い。その為、IoTや組み込み機械などの分野では、A国内で民生技術として開発しているものを、B国に対し軍事技術としてスピンオンさせるというビジネスモデルが珍しくない。日本は産官学のみで連携するのが一般的なため、国防的な観点からのチェック機能が働きにくい。このような点からも、デュアルユースを促進するのが望ましいといえる。

自動運転やドローン、ロボティクスなどの分野で日本の大学がイノベーションを牽引したいということであれば、意欲的な大学や学部・研究機関の教育研究環境を、世界と闘える状況にまで整備する必要があるのではないだろうか。国も、大学などに資金的な援助をすることなどよりも、規制緩和などで制度的な支援をする仕組みづくりを、ぜひ議論してほしい。

大学も今後、研究者が世代交代していくなかで、新しい役割を見出す時代の転換点に差し掛かっているのかもしれない。

⑥「自動運転時代」のイノベーションの装置としての大学